今日は、『自分のもの』という考え方をなくすことについてお伝えします。
例えば、あなたが道を歩いていて、
チンピラに唾をペッと吐きかけられたとします。
「汚い!なんだこいつ?」と、腹が立ちますよね。
あるいは、「チンピラに因縁付けられた?怖い。」
と思うかもしれません。当然の感情だと思います。
では・・・
あなたが道を歩いていて、あなたの前を歩いていた人が、チンピラに唾をペッと吐きかけられたとします。
どうでしょうか?
多分、「えっ?」と思うとは思いますが、自分に吐きかけられた時ほどは、感情が動かないはずです。
では、テレビを見ていて、
誰かが誰かにペッと唾を吐きかけられている映像を見た
としたらどうでしょうか?
多分、まったく感情は動かないと思います。
では、
・自分が唾を吐かれた場合
・前を歩いている人が唾を吐かれた場合
・テレビの中の人が、唾を吐かれた場合
この違いを、「ものすごく客観的に」考えた場合、どのように違いがあるのでしょうか。
「ものすごく客観的に」見た場合、どれも『1人の人間が、別の人間から唾を吐かれた』という、まったく同じ出来事であるということが分かります。
あなたに唾が吐かれようと、
前の人が唾吐かれようと、
テレビの中で唾吐かれようと・・・
どれも『1人の人間が、別の人間から唾を吐かれた』というただの事実には何の変わりもありません。
にもかかわらず、何故、感情の動き方が違うのでしょうか?
それは、『自分の』という考えがあるからです。
『自分の』存在が唾を吐かれた。
だから、怒りや、恐怖などの感情が湧いてくるのです。
しかし、この世界に、『自分の』ものなど一切ありません。
お金は、死ねばなくなります。
家も、死ねばなくなります。
親も子供も家族も、死ねばお別れです。
そしてこの身体も、死ねばなくなります。
お金も、家も、親も子供も家族も、そして自分自身の肉体ですら、自分の物ではありません。
自分の物であるならば、完璧にコントロールが出来るはずです。
しかし、お金は思うように増えませんし、
家は放っておけば痛みますし、
家族も自分の思い通りにはなりませんし、
自分の肉体ですら、病気になったり老いたりします。
どれもこれも、あなたがコントロールできるものは一切ありません。
従って、この世に「自分の」ものは存在しません。
そもそも、自分とは何なのか?
自分の右手をちょん切ったとします。右手がぼとっと床に落ちます。その落ちた右手と、残った体の部分。どちらが自分ですか?と聞かれれば、
「残った体の部分が自分だ」
と言うでしょう。
では、頭から股間まで、綺麗に左右、真っ二つに体を切られたとします。
その左側と右側、どちらが「自分」ですか?と聞かれれば、どちらが自分なのか分からないと思います。
身体を限りなくみじん切りにされた場合。
『自分』はどの破片でしょうか?
もはや自分というものは、どれだったのか訳が分からなくなると思います。
つまりは結局、「自分」というのは妄想なのです。「自分」というものは、ありません。
だから、
・自分が唾を吐かれた場合
・前を歩いている人が唾を吐かれた場合
・テレビの中の人が、唾を吐かれた場合
それぞれで感想が変わるというのは、「自分」という妄想があるからなのです。「自分」がなければ、どれも一緒でしょう?
「自分」というものがなければ、どれも
・人間が別の人間に唾を吐かれた
というただの事実にすぎません。
自分が何か悪いことをされても、他人がされた場合と同じ程度の感想しか持ってはなりません。
「自分」など無いのだから。
私は正しいことを言っていますが、かなり難しいことを言っています。
何故なら、このような認識を持つことが出来れば、全ての欲望から解放されたことになり、お釈迦様と同じ場所にいけるからです。
お釈迦様の様になれと言っているわけですから、正しいとは言え、めちゃくちゃ難しいです。
しかし、方向性としては正しい。
頑張ってそうなれるように自分の考えを変えていかねばなりません。
自分が唾を吐かれても、他人が唾を吐かれたのと同じ感想を持たなければなりません。
自分のお金が盗まれたとしても、テレビのニュースでどっかの町でひったくり事件があったのを見たのと、同じ感想を持たねばなりません。
自分が殺されても、どっかのニュースで殺人事件やってるのを見たのと、同じ感想を持たなければなりません。
上司に怒られたら、怖いです。
でも、他人が上司に怒られてるなら、そんなに怖くないはずです。
何故他人だったら怖くないの?
「自分」というものはないのだから、自分が怒られようが、他人が怒られようが、同じ程度の感想しか持ってはなりません。
「自分」という考えこそが、全ての欲望の始まりであり、諸悪の根源なのです。
- 「自分の」お金
- 「自分の」肉体
- 「自分の」名誉
- 「自分の」家族
『自分の』があるから、
- 傷つくと怒りだす。
- 恐怖を覚える。
- 嫉妬する。
- 執着する。
その結果、
- 人に文句を言う
- ケンカする
- 足を引っ張る
- しまいには、戦争する。殺し合いをする。
となるのです。
「自分の」という考えをどんどん捨てていきましょう。あらゆるものは手放ししていくことが必要です。
お金も地位も名誉も、全て執着してはなりません。手放ししていかなければなりません。そして、最後には「自分」すらも手放ししていかねばなりません。
「自分」という考え方は妄想です。「自分」という妄想すらも手放ししましょう。
それが出来ればお釈迦様と同じ境地になれる、ということです。
はっきり言って、「自分」をなくすことなど、非常に難しいのですが・・・
しかし、少しでもその境地になれるように、
考え方を改めていきましょう。
少しでも参考になったのであれば、拡散していただけると嬉しいです。
この内容を拡散するのも、善い行いであり徳分になるのであなたに良いことが返ってくるでしょう。

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